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音声通訳6 全文復唱のデメリット

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音声通訳6 全文復唱のデメリット

少し脱線して。

音声通訳において。
全文を復唱すれば情報保障が出来ていると、通訳者は時に錯覚しがちである。
これは、PC要約筆記の全文入力に見る勘違いと少し似ている。
別に、全文復唱はダメだと言っているわけではない。
原話の言語音を重要視する場合には、全文復唱の選択をすればいい。
それは利用者の自由。
ただ一般論として考えた場合、全文復唱という形は良い通訳型とは思わない。
ここに敢えて全文復唱の難点を説く。

「全文復唱」と言う場合、そこでの「全」の対象は基本的に、元情報の「言語音」となる。
それが保障されることによる効果は決して小さくなく、むしろ情報保障の目的の大部はそれによって満たされる場合も多いだろう。
しかし、全部を伝えるという事と全文を復唱する事とは違う。
「全文復唱」を文字通り捉えた場合、それは「何の処理も施されない」状態を意味する。
情報は、情報保障の本質に照らして考えるまでもなく、通訳を挟んだ時点で色々と低減している。
低減の程度は状況によるが、いずれにせよ低減した情報の補完は通訳者の務めだろう。
もちろん、中途半端に処理を加えれば弊害も大きく、判断ができないなら取りあえず全文復唱をするというのも妥当な選択かもしれないが、仮に通訳者が適切に処理判断が出来るならば、通訳処理を加えることで情報量は全文復唱よりも上げられると考えている。
また、情報の量と質は、利用者の聞きやすさ・理解しやすさを向上させることでも、間接的に向上する。
それも含め、どのような処理を加えると期待した効果が得られるだろうか。
これについては結論を出すような段階ではないが、下に幾つかの要素を挙げる。

1.指示語など、視覚情報を伴わないと判断できない要素については、それを補う。
(該当する事項を指示語に置き換えて使用する/視覚情報として別途補足する等)
2.話し言葉として生じた日本語の不整合を是正する。
(助詞の調整、語順の入れ替え等。話者の間違いを訂正するという意味ではない)
3.一文が極端に長くなりすぎないように調整する。
(帰着点が分からないままに聞いていると、記憶をとどめにくい。音声通訳は聞き直しができないのでなおさら。)

思いついたままに書いただけなので何だが、少しイメージできるだろうか。
原話に処理を加えることは、特に全文復唱に慣れている人には抵抗があるかもしれない。
話者が発してない言葉を言って良いのか。
勝手に文構造を変えて良いのか。
確かに難しい問題だと思う。
しかし、情報保障という目的の下で考えれば、処理を加えないことのほうが無責任だという考えも理解できるのではないだろうか。
行き過ぎはタブーだが、必要な処理に躊躇するべきでもない。

この問題を進めるには、やはり利用者との意見交換、共通認識の構築などが不可欠だろう。
通訳方針の選択・決定の主体はあくまでも利用者。
求めるニーズを満たすためにも、利用者自身も通訳技術の実際を知っていたほうが良い。
現実的には、利用者の選択する通訳方針を全うできるだけの技術力を通訳者が持てるかどうかのほうが問題かもしれないが……。


Last Update 2010-06-03 (木) 12:26:32

本文終了

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