盲ろう者とは目と耳両方に障害のある人のことをいいます。
富山盲ろう者友の会では、盲ろう者とその支援者の交流・支援活動を行っています。

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かけはし30

本文開始

かけはし30

(2022年8月発行)

目次

会長挨拶

九曜 弘次郎(全盲難聴)

九曜会長

 新型コロナウイルスの感染拡大のため書面表決の総会が続きましたが、今年は3年ぶりに、会員が実際に集まって総会を開催することができました。県障害福祉課、手話通訳問題研究会から来賓に来ていただきました。会員も20名近く集まり、久しぶりに活気が戻りました。6月には東京盲ろう者友の会理事長に講演していただき、また7月には新しい試みとして、言葉による美術鑑賞を行いました。
 暫くコロナが落ちついたかのように見えましたが、7月に入ってから県内でも感染が急拡大し、1日の感染者数が過去最多を更新するなど、まだまだ感染対策が必要な状況です。引き続き感染対策をして乗り切りましょう。
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第14回定期総会を開きました

2022年6月11日(土)、富山盲ろう者友の会第14回定期総会を開きました。決算、予算、活動計画、役員などすべての議案が可決、承認されました。

尚、8月1日現在、2022年度役員は次の通りです。2021年度から顔ぶれが少し変わりました。

2022年度役員

  • 会長: 九曜 弘次郎
  • 副会長:  大井 勉
  • 事務局:  井筒屋 勝己 入江 真理
  • 会計:  西村 陽子
  • 監事:  針山 和雄

今年度もよろしくお願いします。

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盲ろう者が元気になる友の会

(編集部)
2022年6月25日(土)の定例会では、東京盲ろう者友の会理事長の藤鹿 一之(ふじしか かずゆき)さんをお招きし、「盲ろう者が元気になる友の会」をテーマにお話いただきました。その講演を、編集部で再構成したものを掲載します。

藤鹿

藤鹿さんと通訳

東京から参りました藤鹿 一之と申します。東京から僕と一緒に来てくれた通訳・介助者(※)は森宮 聡美さんです。今日は、東京盲ろう者友の会の活動を通して、僕自身がどうやって元気になれたか、あるいは盲ろう者が積極的に友の会の活動にかかわり、また、支援者のみなさんがどのように接していけばいいのか、みたいな話をさせていただきます。

註:通訳・介助者
東京では「通訳・介助者」と呼んでいますが、制度的には、富山の#「通訳・介助員」と同じです。

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なぜ「友の会」という名称か

藤鹿
東京盲ろう者友の会が設立されたのは1991年の4月でした。この盲ろう者友の会は、「福島 智さん(※)とともに歩む会」というのが前身で、そのあと「東京盲ろう者友の会」になったんですが、友の会という名称を考えたのは、今は亡き千葉大学の名誉教授、小島 純郎(こじま すみろう)先生でした。

註:福島 智さん
1962年生まれ。盲ろう者。東京大学先端科学技術研究センター教授。「歩む会」は、福島さんの大学受験や大学生活を支援するために発足した。

この小島先生は盲ろうの世界ではもう神様みたいな方で、小島先生がいらっしゃらなければ東京盲ろう者友の会も設立されていないかな、というほどの方です。盲ろう者の福島 智さんと出会ってから、千葉大学の学生さんたちと盲ろう者が交流する機会を作ってくださり、通訳・介助の支援をしてくれる学生さんたちをいっぱい盲ろうの会に送り込んでくださったんです。当時は派遣事業も始まっていないので、通訳・介助員ではなくボランティアですね、この小島先生が「盲ろう者友の会にしたらどうか」と、お酒の席で熱く語られたようなんです。
で、ここでクイズです。この小島先生の思い、名称を「盲ろう者友の会」にしたいという思いについて。小島先生は何を望んでいらしたでしょうか?

  1. 盲ろう者福祉を向上させることを願っていた。
  2. 盲ろう者どうしが集まる場を作ることを願っていた。
  3. 盲ろう者だけではいけない、友人や家族やそのほか大勢の人と交流できなければいけないと願っていた。

さて3つのうち、何番でしょう?
1番、いない。
2番、ひとり。
3番が圧倒的に多いですね。では、3番と答えた人にお聞きしようかな。森宮さん、誰か指名してください。

森宮
向かって右の一番前の男性。

会員U
Uです。盲ろう者の方はいろんな方とのかかわりが必要なのかなと思って、3番を選びました。

藤鹿
ありがとうございました。3番と答えてくださった方、正解です。
盲ろう者と多くの人が集える事を願って「東京盲ろう者友の会」としました。小島先生は盲ろう者だけの集まりではいけない、多くの人とのかかわりがなければ、盲ろう者自身も世界が広がらないし、よくないんだ、と熱く語られたようです。
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弱視難聴から全盲ろうに

藤鹿
91年に設立して、僕が東京盲ろう者友の会に入会したのは、98年の11月でした。91年と言えば、僕が全盲ろうになる直前でした。

藤鹿さん横顔

生まれたときにはふつうに聞こえていて、目のほうは先天性の白内障で弱視でした。小学校高学年から原因不明の難聴となりました。そして視力も聴力も徐々に低下していきました。辛かったですね。とりわけ聞こえにくくなったことで、人と会うのが嫌になりました。それまでは人と会うのが大好きでおしゃべりだったんですけど、友達から電話がかかってきても、居留守をしていました。
その後、弱視ろうになり、さらに92年に全く見えなくて全く聞こえない盲ろう者になりました。完全にコミュニケーション手段を失いました。全盲ろうになったときには、ある種の諦めもありました。弱視難聴で、どんどん視力と聴力が落ちてくるときと比べたら辛くはなかったんです。辛くはなかったんですが、逆に言えば、気持ちは完全に死んでしまいました。もう自分の人生は終わった、と。

立ち直れたきっかけ

藤鹿
さて、クイズです。もう完全に絶望的だった僕が、その後、立ち直れたわけですけれども、立ち直れるきっかけを作ってくれた人は、どのような人でしょうか?

  1. 同じ盲ろう。
  2. 家族や友人。
  3. 通訳・介助員。

ではお聞きします。手をあげてくださいね。

1番、盲ろう者と思う人。4人。
2番、家族や友人。0人。
3番、通訳・介助員。多くの方ですね。
では、なんで3番なのか。お一人にお聞きします。

会員S
Sです。通訳・介助員が少しずつ増えてきて、携わってくれるようになったことが嬉しかったのかなと思いました。

藤鹿
Sさん、正解です。3番の通訳・介助員で正解です。
東京盲ろう者友の会に入会して、通訳・介助員の皆さんが僕に指点字を打ってくれたんです。それまでのコミュニケーション手段は、テーブル書きという、時間がとってもかかる方法でした。今書いてもらいます。

(通訳・介助者の森宮さんが藤鹿さんの手をとって、テーブルの上に大きく文字をかく)

「す」「し」。ああ、「寿司」。さっき、ここに来る前に美味しいお寿司を食べてきたので、森宮さんがすごく感動されていて、お寿司の味が忘れられないようです。このように、テーブルに、ひらがな、カタカナで書いてコミュニケーションをとる手段ですからすっごく時間がかかります。
それで、東京盲ろう者友の会に入会して、指点字を通訳・介助員の皆さんが打ってくださいました。見えなくても聞こえなくてもコミュニケーションが取れるんだ、ということを教えていただいたんです。そのときに、自分の気持ちが180度変わりました。以前のように元気になれたんです。だから、僕を復活させてくださったのは、通訳・介助員の皆さんです。
よく養成講習会などで、講師が受講生に向かって「盲ろう者に育ててもらってください」という言い方をする方多いですけれど、僕に言わせれば、盲ろう者が通訳・介助員を育てるんじゃなくて、いつも「育て合いだ」と言っています。お互い育て合って成長していくのがいちばんいいと思っています。
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対面での説明と励まし

藤鹿
では今度は、この友の会に入会したいきさつですけどね。
全盲ろうでどうしようもない状況でした。もう家族とか知人友人もお手上げ。見えなくて聞こえないからどうしようもない。当時はまだ、盲ろう者という存在すらほとんど知られていない時期で、東京の盲ろう者支援センターもありません。
実は、友の会の存在は聞いていました。耳鼻科の先生から「あなたのような、目と耳の両方に障害のある人たちが集まる場が、あるようだ」というような話を聞いていましたが、全盲ろうの僕がそんなところにいったって意味ないよね、と。何もわからないで終わりだと思って、行く気なかったです。

そんな時、たまたま、近所の人で障害者関係の仕事をされている方が、東京盲ろう者友の会に連絡をしてくれたんですね。友の会の職員が自宅まで来て、ブリスタ(※)でいろいろなことを話してくれました。「一度、友の会の交流会に遊びに行きませんか」と誘われて、半信半疑でしたが一度行ってみることにしたんです。

註:ブリスタ
点字速記用タイプライター

この自分の経験から言って、友の会から盲ろう者にパンフレットを配るだけではあまり効果がないな、と。実際に、盲ろう者の自宅、あるいは盲ろう者と会える場所に行って説明する。「盲ろう者は、あなただけではなく他にもたくさんいて、みんなで頑張っているよ」「あなたに適した通訳・介助員を派遣できるよ、それで、社会参加も可能になるよ」とか、説明と励ましがないと、なかなか友の会に入会するのは難しいなと思っています。
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アウトリーチが大切

藤鹿
このように盲ろう者に直接会って必要な情報を伝えたり励ましたりすることを、「訪問支援事業」、アウトリーチといいます。このアウトリーチが非常に大切です。

会場の様子

現在、東京都では荒川区だけが、この訪問支援事業の予算をつけています。荒川区の職員と東京都盲ろう者支援センターの職員が荒川区在住の盲ろう者の自宅などを訪問し、友の会のことや派遣事業など制度の説明をしています。盲ろう者のことを理解してくれている人たちもたくさんいることを話して、励まします。
こうした訪問支援を行う自治体を増やすには、区市町村に、盲ろう者の障害や生活の様子を理解してくれる人を増やす必要があります。そのために、東京の盲ろう者支援センターでは「盲ろう者福祉ワーカー研修」を開催しています。区市町村の福祉課の職員だけでなく、相談支援事業所や施設の職員等、盲ろう者とかかわりのある方々に受講していただいています。
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社会参加と自己決定

藤鹿
初めて派遣事業を利用したときの話です。
迎えに来てくれた通訳・介助者と一緒にサークルに行ったんですが、サークルの前に、ご飯に行きました。「何が食べたい?」と聞かれました。この何が食べたいかと言われても、見えないからどういうお店があるかわからないんです。弱視難聴だったときと全盲ろうになったときでは、世界が違いました。弱視難聴の頃は、目と耳から少しずつ情報が入っていた。でも、完全に見えなくてね、完全に聞こえないから、伝えてもらえなければ情報が入ってこないんです。今だったら、「どんなお店がありますか?」とか、いろいろ聞きますが、当時、初めての派遣利用だったこともあって、「何でもいいです」みたいに言ったんですね。
それで、サークルを開催するセンターの食堂で食べることになって、僕が選んだのが、無難にシンプルなパスタミートソース。一口食べて、衝撃的。とてもまずかったです(笑)。
最初はね、失敗したか、と思いましたけど、でも、これが盲ろう者、藤鹿の社会参加の第一歩になったんです。つまり、このセンターでパスタはまずいという情報が自分の中に入ってきた。二度とここでご飯は食べない。情報が全く入ってこないから、社会勉強も一からやり直しで、この後、徐々に情報を入手して動けるようになったんです。ですから、通訳・介助員の皆さんには、盲ろう者が社会参加、それから自己決定・自己判断ができるような情報提供をしていただきたいです。 
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会員それぞれ力を発揮できる場がある

藤鹿
はいそれで、盲ろう者友の会の活動に参加するようになりました。入会して2年目に理事になりまして交流会の担当になりました。

藤鹿さんと通訳

交流会は、盲ろう者だけではできません。通訳・介助員の皆さんも、また、どなたでも参加できるというような形にしています。盲ろう者にとって、新たな出会いや社会参加をするための第一歩になります。この交流会を運営する際に、チームを作りました。運営委員です。盲ろう者は僕ともう1人。あとは、僕自身がこの人ではと思う方7人集めました。全部で9人です。
この中で、僕自身にとって右腕となってくださっていた方が、実は、通訳はあまりできなかったんです。指点字も手話もできませんでした。でも、移動介助をしてくれたとき、その方とは電車の中で、たくさんコミュニケーションをとりました。コミュニケーション手段は、手書き文字。お話を聞いたら、とても社会経験が豊富な方でした。そして、この方は、交流会などで参加者全体を見られる力のある方だなと思いまして。お願いしてスタッフになっていただきました。
予想通りでした。通訳はできなくても、この全体をしっかり把握する力を持っていらっしゃる方でした。この方が、全体を見て気がついたことがあればメモを送ってくる。僕の隣に座っている指点字通訳ばっちりな方が通訳をして伝えてくれる。
ときどき「私は通訳・介助もできない。盲ろう者と、話すことしかできないです」と言われる方がいるんですが、盲ろう者と会話をしていただく方はとっても大切だし、通訳・介助以外で力を発揮できる場もあります。「通訳できないから」と友の会から離れないでください。皆さんもそれぞれが力を発揮できる場があると思います。
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ひとりぼっちをなくす

藤鹿
ではここで問題。
藤鹿が交流会の代表になったときに、スタッフの皆さんに一番気を付けてほしいと思っていたことは何だったでしょう。

  1. 毎月、おいしそうなおやつを出そうね。やはりね。皆さん、美味しいもの食べると笑顔になるんですよ。
  2. 多くの人が楽しめる企画を考えよう。
  3. ひとりぼっちの人をなくそう。

さて、何番でしょうか。どれも間違いではないですよ。

1番、毎月、美味しいおやつを出す。0人ですか。ちなみに僕はスイーツ大好きで(笑)。今日もね、大宮駅でケーキに惹かれてケーキ買っちゃって。新幹線の中で、生マンゴーケーキ(笑)、食べちゃった。
2番、みんなが楽しめる企画を考える、2人。
3、ひとりぼっちの人をなくす。3番が多いですね。では、3番と答えたかた、もう一回手をあげてください。森宮さん、指名してください。

森宮
あれ、さっきより減った気がする(笑)。九曜さんの列の前から3番目の方。

会員N
Nです。3番、ひとりぼっちの人をなくす。せっかく交流会に参加しているので、やはりひとりぼっちであってはいけないと思います。

藤鹿
Nさんありがとうございました。では、どういう方が、一番ひとりぼっちになりやすいと思いますか。

会員N
ひとりぼっちになりやすいのは盲ろう者だと思います。だから、スタッフから声かけとかするのは大事なことだと思います。

藤鹿
はいありがとうございます。答えは、3番「ひとりぼっちの人をなくそう」でした。それで、どういう方がひとりぼっちになりやすいかっていうとね。実は、盲ろう者じゃないんです。盲ろう者には通訳・介助者がついているので、ひとりぼっちにはならない。ひとりぼっちになりやすいのは、フリーで参加している一般の方なんですよ。
それでスタッフには、ひとりぼっちでいたら声をかけて、盲ろう者と話せるようにサポートして、と。それによって盲ろう者も、これまで出会ったことがない方と出会えるわけですね。双方にとってプラスになるし、僕自身がそうやって、いろんな方を紹介していただいて自分の世界を広げてきました。ですから、この交流会、盲ろう者のことをしっかり見ることも大切だが、すべての方が主役だから全体を見ていてね、と話しました。
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盲ろう者主体で企画作り

藤鹿
東京盲ろう者友の会主催の交流会や学習会の企画、運営は社会参加促進委員会でやっています。社会参加促進委員は盲ろう者と事務局で構成されていますが、盲ろう者の自主性を伸ばすため、内容等はなるべく盲ろう者に考えてもらっています。交流会の当日は盲ろうの社会参加促進委員が司会等を担当し、他者との接し方を学んでもらっています。
7月からは、私が発案して、新しいタイプの交流&学習会を始める予定です。これまでの交流会はみんなが楽しめるような企画を立ててきました。それとは別に、もっと対象と内容を絞り込む場も作ろうと考えています。たとえばIT機器に関心のある盲ろう者を対象に、IT機器の使い方の講習会とか、できるのではないかと考えています。

会場の様子

ブレイルセンス(※)とかですね。また、オンラインでZoomをやらなければいけなくなるので、パソコンとか。まだ具体的にどのような情報機器が必要かは、僕自身も白紙の状態です。実は、情報機器に関しては、苦手分野でして(笑)。さっきも言いましたね。適材適所で担当を決める。この情報機器の学習会は、藤鹿は担当になることはまずありません。九曜さんみたいな方が、適任です。

註:ブレイルセンス
点字ディスプレイと点字キーボードが付いた、携帯用の情報端末。

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質疑応答

司会
ありがとうございました。藤鹿さんに質問がある方はいらっしゃいますか?

会員I(S)
先ほど、東京の交流会でひとりぼっちになりやすいのはフリーで参加している一般の人、というお話がありました。東京の場合は、こうした一般の方はどのようなルートで参加されるのでしょうか?

藤鹿
僕自身が大学とか高校で講義していて、そのときに学生さんに声をかけたり、盲ろう者の友人とか通訳・介助員の友人とか、ルートといっても、無数にありますね。あと、ホームページをごらんになってとかFacebookを見て参加したりとか。東京都聴覚障害者連盟主催の耳の日のイベントに友の会もブースを設けて、そこに参加してくださった方が「盲ろう者と接して楽しかったから交流会にも参加した」とか、いろんな方です。

会員I(K)
東京都では唯一、荒川区だけが訪問支援事業を行っている、ということでした。そのほかの区、市、郡部では動きはないのでしょうか?

藤鹿
荒川区とは別のある区で、ちょっとやっていただいたことがあります。残念ながら支援センターの職員に会いたいと言ってくれた盲ろう者は、ごく僅かで、なかなか派遣の登録まで繋がりませんでした。荒川区では、区在住の盲ろう者が数人、繋がったんですが。
盲ベース、もともとは視覚障害者で、高齢で、聴力も落ちてきている人たちは、お誘いしても、「もういいや」とおっしゃる方がいらっしゃるようです。「点字の触読はできるから友達と文通もできるし、わざわざ盲ろう者友の会に行かなくてもいいよ」ということで、なかなか繋がらないのが現状です。

司会
藤鹿さん、多岐にわたるお話を、ありがとうございました!
私は常々、「なんで『盲ろう者友の会』なんだろう」と疑問を持っていました。当事者がつくる障害者当事者団体は数多くありますが、当事者と支援者がつくる会というのはあんまり聞かない。今日、小島先生の発想、「盲ろう者の世界を広げよう、そのために友の会が必要だ」という発想があったということを初めて聞いて、なるほどなと腑に落ちました。
本当にありがとうございました。

(編集部)
質疑応答のあとは、指点字を使って、富山盲ろう者友の会の会員と藤鹿さんが交流しました。
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新しく入会しました

(編集部)
去年の 12月から7月までに、Uさん、N.T,、N.H.さん、Yさん、Mさんが入会されました。自己紹介や近頃思うことなど、自由に書いていただきました。

U.Y.
昨年から盲ろう者向け通訳・介助員養成講習会を受講しています。手話や点字、パソコン通訳などかなり難しいですが、心構えや考え方を理解して行動出来るようになりたいです。友の会の皆さんと楽しく交流しコミュニケーションや介助方法を学んでいけますようよろしくお願いいたします。

N.T.
私は以前、全盲の女性と一緒に散歩する機会がありました。「今日はいいお天気で雲一つない真っ青な青空ですよ」と話しかけると女性は「私、青色を見た事がないので・・・」と言葉が返ってきました。返す言葉につまり、空の様子が伝えられないまま歩き続けてしまった思い出があります。
今私は盲ろう者向け通訳・介助員養成講習会を受講しています。先日は屋外をアイマスクを着けて移動し不安で全身に力が入り、特につま先が緊張する体験をしました。又介助者側になると状況説明するのになかなか的確な言葉が出ず焦るばかり。以前の女性との散歩場面を思い出していました。今後は講習会で学んだ事が身につくよう努め、視覚や聴覚に障害のある方とコミュニケーションが図れ、一緒にいろいろな事を感じたり楽しい体験ができるようこの会の活動に参加していきたいと思っています。

N.H.
昨年から通訳・介助員養成講習会を受講して、それを機に友の会に入会した中山 洋史です。よろしくお願いします。
近頃思っていることは、やはり、ウクライナで起こっている戦争です。日本では、第二次世界大戦後戦争は起こっては、いません。戦争は何があってもしては、いけないのが全世界民の願いだと思います。なにがあっても戦争阻止をどうして出来なかったのかを不思議に思っています。1日も早く戦争が終わり、平和が訪れるのを願っております。

Y.A.
盲ろう者向け通訳・介助員養成講習会の後期課程を受講中です。受講のきっかけは、NHKのハートネットTVという番組で、高齢の盲ろう者が施設の職員と触手話でコミュニケーションを取ったり、福島 智さんが指点字の通訳でスムーズにインタビューに応えておられるのを見て、いろいろなコミュニケーション方法があるのに感心しました。この講座を受講したことで、実際に触手話や指点字を見たり体験し身近に感じることができました。
 私は、今年初めて「サツマ芋」の苗を植えました。今、葉っぱが青々と生い茂っています。秋には「サツマ芋」の収穫が楽しみです。いくつ採れるかな? 大きさはどうかな? 味はどうかな?・・・。この講座が終了する頃は、私にどんな収穫があるのかな?・・・。まだまだ勉強途中なので、とりあえず、修了目指して頑張ります。よろしくお願いします。

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