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Ⅱ-(ⅲ)筆記の目標

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Ⅱ-(ⅲ)筆記の目標

良い要約筆記とは

 良い要約筆記とは、利用者にとっての利用価値が高い要約筆記であろう。これは個々の利用者によって、またその時のシチュエーション等によって評価の分かれるものであり、その評価基準を一般化することは難しい。また要約筆記の評価は、原話と要約筆記文との対比によってなし得るものであるが、要約筆記というものの特性上、利用者自身がそれを行うことは難しい。もちろん、明らかに意味をなさない筆記文については、利用者もその不出来を批判することができるが、日本語として矛盾のない文章が並んでいる限りは、それを受け容れるほかないというのが実際だろう。したがって、要約筆記の評価体制に関しては、主に要約筆記者側がそれを担う責任を有するが、憂慮すべきは、要約筆記者自身の評価能力の不備である。遅れずに手を止めずに書ければ、良く出来たと思ってしまう要約筆記者も少なくない。
ここでは一般的な要約筆記において、要約筆記の原則を踏まえた上で、良い要約筆記とは如何なる要素を満たしたものかを考える。以下に4つの要素を挙げる。 

  ①流れがわかる
  ②要旨・要点がわかる
  ③機微がわかる
  ④一体感

①流れがわかる
 話の推移、その内容について、大方の把握が順次出来る。

②要旨・要点がわかる
話の内容について、具体的な要旨・要点がわかる。これは、要旨・要点が洩れなく筆記されていることに加えて、それが要点であるということがわかるように筆記されていることも意味する。
 
③機微がわかる
話の内容がわかった上で、話の雰囲気、言葉のニュアンスなどの、情緒的要素が伝わる。

④一体感
 その場の空気をそのまま感受できる。

 ①→④の順に、筆記の質としては高度となる。また、一般的なケースにおいて言うならば、①は②の、②は③の、③は④の必要条件となる。ただし、これはあくまでも一般的な要約筆記を想定した分類である。使用場面によっては、必ずしもこれに合わない場合も多々ある。たとえば、学校の講義等で、個々の事象そのものを知ることに価値が置かれるようなケースでは、必ずしも①は②の必要条件とはならない。
 ④は、要約筆記の究極の目標と言えるかもしれない。これには、高い即時性を実現する技術が要される。即時性については要約筆記の原則のところで少し触れたが、“何秒以内の遅れであれば即時性が担保された”と単純に言えるものではない。多少遅れても内容が適切に伝えられたほうが良い場合もあり、逆にタイムラグがあっては意味を成さない場合もある。一般的には、少しの遅れは容認されるものとし、特殊なケースのみでラグ‐ゼロを求めるのが妥当だろう。しかしその場合に如何にラグ‐ゼロを実現するか、その方法論の前途は未だ見えていない。
 

目標の設定と具現

筆記における目標を掲げることは同時に、その目標にとって不要な要素を省くことを意味する。省かない限りは目標の具現はかなわないと言ったほうが正しい。どの要素をどの程度省くかは、話の内容やスピードによって異なってくるものの、より含蓄のある筆記を目指すためにも、またタイムラグをより小さくするためにも、無駄な要素をできるだけなくすことが肝要となる。
では無駄な要素とは何か。要約筆記の原則のところで、“時間の無駄、労力の無駄”という表現をした。意味なく手が止まるなどというのは明らかな時間の無駄であるが、休まず手を動かしていても、その筆記の内容に無益な部分があれば、それもやはり時間の無駄であり、同時に労力の無駄でもある。時間の無駄と労力の無駄は相互に関連するものであり、明確な区別は出来ないが、いずれにせよ、思考と作業の各段階の全てを対象として、そこに無駄がないかどうか見直すことが必要である。表出されたもののみならず精神活動自体について、すなわち思考の無駄についても検証が求められる。
検証にあたっては、筆記技術の体系的分類と、その理論構築が欠かせない。同時に、要約筆記における思考機序の分析と、諸々の判断基準の明示が求められる。これらの理論の整備は、要約筆記における思考を規律するためのものではない。まずは、これまで個々の要約筆記者に委ねられていた様々な要素を洗い出し、内在する課題を明らかにする。そして理論化できる部分は理論化し、諸判断の基準をより明解に提示する。その視点と分析の方法論を得ることにより、要約筆記の内容評価を、より客観的に下すことが可能となる。どの部分にどの程度の無駄があるか、どこをどう変えればどんな効果が得られるか。筆記者の技術向上のためにも、要約筆記自体の可能性の拡大のためにも、これらの検証は必要である。
要素の適を見直すという方向性についてはともかく、その過程で多くのものを“無駄”と評することについては異論の出るところだろう。実際、本当の意味で純粋に“無駄”と言えるものはないのかもしれない。その意味では“無駄”という言葉は適切ではない。しかし今、焦点をあててほしいのは、“無駄”という言葉の是非ではない。
ここで1つの基準を設ける。以後、“無駄”という言葉を使用する場合は、以下の解釈によるものとする。

「ある処理要素について、より良い処理の方法があると判断された場合、元の処理には無駄があったとする。」

すなわち、要約筆記において“無駄のない筆記”とは、“改善の余地がない筆記”ということになる。これは、“非常に良い筆記”という意味ではない。その時その時の状況下で、最善の選択をしたかどうかということである。


Last Update 2011-05-07 (土) 14:30:17

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