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Ⅱ-(ⅷ)文章の整合

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Ⅱ-(ⅷ)文章の整合

文章の整合とは

 要約筆記において、文章の整合作業は重要である。最終的に読み手が意味を解せなければ、筆記の目的は果たされない。読み手が読みやすいように、理解しやすいように、スクリーン等の媒体上でどう見えるかも考慮した上で文章を構築していく技術が「文章の整合」である。特に日本語においては、文章の最後を書いてはじめてその文の意味が決定されるという性質を持つ。助詞ひとつ、語尾の形ひとつの違いで、文全体の意味内容が変わってしまうこともある。途中まで如何にうまく書いてあったとしても、締め方を間違えれば誤った情報を提供することにもなりかねない。
 文章の整合には、話し言葉が元々持つ不整頓の整理と、要約筆記作業の過程で出てくる不整合の整理という2面がある。話し言葉をそのまま文字にしたものは読みにくいというのは、よく言われることだが、そういった部分を適切に処理して整った文章に変換することも要約筆記の役割である。それと区別されるのが、要約筆記作業の過程で出てくる不整合。要約筆記では、省略や概括などの処理を加えるため、原話との内容のズレが当然生じている。そのズレを認識した上で、筆記した文の中で話の整合性がとれるように、筆記を進める必要がある。また、聞きながら書いていくうちに、話の終着点が予想外の方向に行く場合もある。その場合もやはり、既に書いた部分との整合性をとりながら、正しく内容が伝わるような形に文章をまとめなければならない。そのような場合に、述部だけ発話に忠実に書くようなことをしてはいけない。それで成り立つ場合もなくはないが、発話に忠実に書いた部分に関しては省みる必要がないような心理が働くため、注意が必要である。途中の要約作業の結果として意味の違う情報を提供してしまうというのは本末転倒。明らかに要約筆記者の過失であるが、書けない、読めないといった不出来と比べて、利用者が過失に気づきにくいという点も厄介である。
 若干違う要素だが、途中に落とした内容が再度出てきたときに、そのフォローをするというのも文章の整合と同様の技術である。書き手が交代するため、通しての筆記文を把握することは難しいが、少なくとも自分の筆記を把握せずに、そのフォローをしそこなうというのは問題外。


Last Update 2011-05-07 (土) 14:40:55

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